ホーム    TOPICS   会の活動   メンバー構成   レッスン各種   講師紹介   会員/会友募集
練習室・楽器レンタル   所蔵楽器   CD    アクセス   E-mail     想楽舎

★会員レポート 「オリゴの秋」講座シリーズ 第115回

特別講座 「ゴルトベルク変奏曲〜バッハ、晩年の世界」

講師:角倉一朗氏(東京藝術大学名誉教授)

2006年10月1日(日)16:00〜19:00 会場 コア石響(東京・四ツ谷)
2006年オリゴの秋 特別講座として開催

1.晩年のバッハ

   1685年に生まれ、1750年に没したJ.S.バッハの最後の10年間を晩年として、 そこに重点を置いて生涯をまず辿った。 
バッハは自作に対して改作を重ね完璧なものを求めるタイプの作曲家であったが、 ライプツィヒ時代1730年を過ぎた頃より始まった自作品の出版とともに、 晩年は更にその傾向が強まっていった。 また作曲の傾向として対位法の技法を極め尽くすような非常に凝った作品、 そして変奏曲への興味を深めた時期でもある。 当時既に若い批評家達にもさんざんに批判され、 全く人気が無くなっていた対位法作品に何故バッハは執着したのか? 角倉氏は長い伝統の上に立って自分が極めた対位法の技法を後世に残さなくてはならない、 というバッハの遺言ではなかったかと述べた。 また晩年の作であるコラールが1963年の日本で角倉氏の手で発見された経過も話された。

2.バッハの変奏曲

   バッハは若い時代にコラールによる変奏曲を残しているが壮年期にはあまり書いていない。 そして晩年になると「ゴルトベルク変奏曲」を始めとして大曲を残した。 「フーガの技法」や「音楽の捧げ物」も広い意味で変奏曲といえる。

3.作品の誕生

   フォルケルの書いた「バッハ小伝」によって伝えられている、 不眠に悩むカイザーリンク伯が眠れぬ夜にお抱えのチェンバロ奏者ゴルトベルクに弾かせるため バッハに依頼したという有名な逸話の真偽は?曲の成立の契機としては ゴルトベルクの年齢等を考えて首をかしげざるを得ないということであった。

4.楽譜

   自筆譜は消失しているが、1741年の出版譜が残っている。 とりわけ、バッハ自身の加筆訂正が書き込まれた私蔵本が1974年に発見されたことにより、 一部曲の解釈に大きな影響を及ぼしている。またアリアのバスのテーマを基に 14の謎カノンが書き込まれており、これも新たな発見となった。

5.ゴルトベルク変奏曲の性格

   単独のクラヴィーア曲としては最大の規模を持つ。多様な変奏は、 徐々に技巧性を増し、クオドリベット(*)そして最初のテ−マに戻って曲を閉じる。 後半の技巧的な曲に見られるドメニコ・スカルラッティの影響も指摘された。 調性は全体がト調で統一され3曲のみ短調である。ト長調とト短調は同じ調であり、 その違いは旋法の違いであるという楽典的な注意もされた。
*クオドリベット=16〜17世紀に流行した複数の民謡など 周知のメロディーを組み合わせる曲の作り方。ラテン語で<すきなもの>という意味。

6.ゴルトベルク変奏曲の構成

   バッハ持ち前の秩序と計画性が表れた構成となっている。 変奏の3曲目にはカノンが配置され、第4変奏以降は自由な変奏や舞曲、 技巧的な曲、カノン、という3曲ごとのまとまりが見られる。

7.作品の変容

   バッハの作品についてはどのように受容されてきたかという研究も非常に多くなされている。 バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータの和音の演奏のために考え出されたバッハ弓は その極端な例であろう。最近提唱されている、受容美学の「期待の地平」という観点は 非常に印象深いものであった。バッハの時代にどのような音楽を求め、 どのように演奏されていたかを知ることの大切さと、同時に、それ以降の様々な音楽を知り、 この現代に生きる我々は音楽に何を求め、そしていかに演奏すべきか、 これらのことを混同せずに追求しなくてはならないのではないか、 という問いかけで講座を終了した。

ホーム    TOPICS   会の活動   メンバー構成   レッスン各種   講師紹介   会員/会友募集
練習室・楽器レンタル   所蔵楽器   CD    アクセス   E-mail     想楽舎