|
第1回「教会暦を知ろう」
まず、暦にはどのようなものがあるか、それぞれの発生の違いを見ることから始まり、
教会暦成立の歴史、意義へと話が進んだ。
キリスト教の暦・祝日は、ユダヤ教の祭り(祝日)をキリスト教的に変えて、
キリストの生涯に符合させたものである。そこからは、民族の歴史をどう捉えているかが解かる。
例えば、過越しの祭は出エジプト、つまりイスラエルの民がエジプトの植民から独立したことを記念するものである。
仮庵(かりいお)の祭は、彼らが荒野をさまよっていた時にマナを与えられたことを記念する、秋の収穫祭である。
このようにユダヤ教・キリスト教では歴史に神が介在しており、聖書は神が歴史に介入した記録なのだ。
彼らの祝日とは、1年のサイクルの中で、神への感謝は勿論、神との関わりを毎年記念して思い返すために生まれたものなのである。
また、修道院の聖務日課は、1年のサイクルを1日に対応、1日が1年のミニチュアになっている。
1年は待降節に始まり、降誕説、顕現(プロテスタントは公現)節、受難説、復活節…と続いていくが、
各々の期間と祝日について、ひとつひとつ具体的な説明がなされた。
水・木から始まる期間は、ユダヤ教に由来する。〜節(聖節)は1年の前半に片寄ってあり「主の半年」と呼ばれ、
残りの半年は「教会の半年」で聖人やマリア、天使の祝日がある。このほか暦・祝日に関係して、
クリスマス前の人々の気持ち=キリストの誕生はめでたいが、受難を前提としているので、ウキウキしたものではない様子や、
シェイクスピアの「12夜」の意味、金曜の食事・カーニバル・断食について、受難曲の成立について、などにも話が及んだ。
次に教会暦と音楽との関連に、テーマが移った。教会暦に依って、礼拝で読まれる聖書の箇所は指定されている。
同様に、グレゴリオ聖歌・コラールも定められている。また、カンタータの歌詞もこれをふまえている。
ミサ通常文とミサ固有文、使徒書簡章句と福音書章句の説明がなされ、仕組みがだんだん見えてきた。
ここで、「神の立法についての日」の為に作曲されたJ.S.バッハの教会カンタータ
『Dusollt Gott,deinen Herren, lieben(汝の主なる神を信じなさい)』を例に、
この作品がドイツ・バロックの発想・作曲法を駆使した、非常に複雑な構造であることを分析。
テーマに用いたメロディの源も提示し、なぜバッハがそのように作曲したのか、
そこにどんな思いがあるのかにせまった。最後にCDを聴いて、この日は終了。
*
第2回 「ルネサンス後期からバロック初期のイタリア鍵盤音楽」
第1回に引き続いて、教会暦と音楽との関連を今回はカトリックを中心に見て行く。
その前にまず、ミサの歴史と意味を捉えることから開始。
ミサは聖体拝領(プロテスタントは聖餐式)がおおもとであり、これが中心となっている。
カトリックとプロテスタントではそこでいただくパンとワインの解釈が異なっている。
そして、初めは家庭で行われていたミサが教会堂で行われるようになっていった変遷や、
聖体拝領の前に神の御言葉をきく=聖書の朗読がなされるというように、
ほかにも中心となる部分がでてくること、20世紀にミサの改革が行なわれ、
長い伝統の歴史的ミサとは異なる形になったことなどが話された。
次に、歴史的なミサ聖祭の構成と、そこで唱されるミサ通常文とミサ固有文を、
進行に従って追うとともに、ミサに音楽がどのように現れていったのかも見て行った。
また、第1回にも話があったが、1年の暦を1日に当てはめた修道院の聖務日課を詳しく見、
さらに1日の太陽の動き(明るさ)をキリストの生涯に重ね合わせていることも紹介された。
「詩篇の朗唱」などとよくいわれるが、朗唱とは、読唱=フシをつけてうたいながら読むことである。
この方法で、聖書の全てを歌っていくことができる。
中世から15世紀、ミサ通常文もミサ固有文も作曲されていたが、
15世紀を境にしてポリフォニーの時代には、固有文が1年に1回しか演奏され得ない為に、
全てのミサに共通して演奏される通常文の方に力を注ぎ、それのみ作曲されるようになった。
さていよいよ、教会で使われるオルガンレパートリーの話に入るが、
オルガンは歌の部分を代わりに演奏したり、14世紀ころからは、
相互奏のポリフォニーの部分を担当するようになり、16世紀以降、
通常文はオルガンで演奏するものになった。こうして、ルネサンス・バロック時代、
当時最新のポリフォニー作品と単旋律グレゴリオ聖歌でミサという典礼を構成することになる。
ここで、フレスコバルディのフィオリ・ムシカーリ(1635)の構成と、
ミサの進行とを合わせながら、どこでどういう形式の鍵盤音楽が奏されるかを見て行った
(収められている曲種は、カンツォン・リチェルカレ・トッカータ・カプリチォなど)。
ほかに作曲家は、ヴィラールト、ド・マック、マヨーネ、トラバーチ、ジェズアルドなどが挙げられた。
当時出版されたオルガン曲で一番多いのはリチェルカレで、
その他には、イントナツィオン=典礼で使われる可能性が高い、短い音取りのための曲。カンツォンは、
16世紀に、リチェルカレに替わって出版が多くなる。当時の出版で、
トッカータ集と言いながらカンツォンやリチェルカレが入っているのは、
この構成(舞曲は禁止)ならば教会が買うからである。リスクの多い出版には、
こうした総合・統合的曲集が相応しかったのだ。
作曲家は、ルネサンス時代悲しみの表現には控えめであった。
バロックに入って、オペラ出現を通じて、激しい大きな悲しみの表現へと向かう。
教会音楽にもそれは取り入れられ、ミサの頂点である聖体拝領の時に、
ものすごい不協和音や掛留によって、異常な表現をした作品を置いている。
実はフレスコバルディ以前、ここに音楽は置かれなかった。
オルガ二ストガ自分たちの最先端の作曲法を取り入れたレパートリーを開拓したのである。
最後にCDでその異常さを聴いて終了。
|