2005年7月 イタリア初期鍵盤楽器見学ツアー 報告

古楽研究会代表 加久間朋子

2005年7月9日〜11日の3日間、イタリアのオルガン見学ツアー(現地集合、解散)に行ってまいりました。多少詳しい旅行記をここに記しましょう。

2003年に研究会主催でオリジナル楽器をドイツに見学に行ったことに味をしめ、どこか他国のオリジナル楽器見学にも行きたい…と、かねてから何かにつけ話題に出ていたものでした。昨年、夏にイタリアのオルガン、チェンバロ奏者メニケッティ氏の公開講座を当会サロンで行い、その後に講師研究会でイタリアの初期オルガンについて伺い、講師一同、興味津々。そこで「イタリアに出向けば、それらのオルガンを見て、触ることは出来ますか?」というぶしつけな質問に「大丈夫です。いらっしゃい!」というお返事を頂き、イタリアへのオリジナル・オルガン見学試奏ツアーを本格的に計画することにしました。

2005年の初め頃より、メニケッティ氏とメールでやり取りをし、氏のご尽力により、想像していたよりも多くの楽器に出会うことが出来ました。また、オルガンの事はチェンバロ程は知らない事から、事前に、オルガン奏者の浅井寛子氏にイタリアのオルガン構造と名称を教えて頂くという講座、さらにはフィレンツェの歴史的建造物について一級建築士の照井春郎氏による講座を設け予習して出掛ける事にしました。その甲斐あって、真に有意義なツアーになったことは言うまでもありません。メニケッティ夫妻を始め、この企画に協力頂いた方々にここでお礼申し上げます。細かいオルガンに関する資料をここに書くのは多くの紙面を必要としますので、ここでは、加久間の雑感も織り交ぜた旅行記を報告と致しましょう。

前回の経験を生かし、今回はイタリアの都市フィレンツェの「アトランティック・パレス・ホテル」にツアーの始まる前日の夜に集合とした。私は前後一日ずつ余裕を持って参加。7月7日に日本を出発、ミラノに入る。翌8日朝7:00発のユーロスター(特急)でフィレンツェに向う。一日早く入ったのは、行きたかったアッシジとキャンティーのワイナリー見学のため。夕刻、集合のホテルへ。ドイツに住んでいる会友の辻めぐみさんも今回参加、全員が予定通りホテルに着いたのを確認する。4ツ星のホテルで駅からも近く、中央市場もすぐ近く、さらにメディチ家ゆかりのサン・ロレンツォ教会もかなり近くにあり、私達には好条件のホテルである。(編集註:このホテルを基地に、フィレンツェ市内は徒歩で、ピストイアとボローニャへは鉄道で移動した。)

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筆者サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の前で

<フィレンツェ>
9日朝8:50にホテルロビーでメニケッティ氏と奥様(みつるさん)と会う。一年ぶりの再会。早速、サン・ロレンツォ教会S. Lorenzoへ向う。今日は氏の友人でフィレンツェ在住のオルガニスト、F・ジャンノーニ氏がわれわれに同行して下さる。まず、裏口らしき所から聖堂内部へ、そこでメニケッティ氏のオルガン演奏が開始。天井に吸い込まれていく音に半ばめまいを感じながら、聴き入る。このオルガンは1502年に贈られた物らしい。ミサが始まるまでの少しの時間であったが、至福の時間。上層にある演奏席まで見せていただく。鍵盤数が少ない。これでたった今聴いた演奏をしていたのかと感動。本当にルネサンスのオルガンだ。ふいごが目に入る。「これはやはり電動ですか?」と聞くと「手動に切り替えることも出来る…やってみましょうか」と言う事で、ジャンノーニ氏が急遽ふいご手になる。

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S.ロレンツォ教会のオルガン メニケッティ氏とジャンノーニ氏

やはり、音楽がさらに呼吸をするように感じた。うれしい体験。さらにもう一台を見せていただく。1台目より300年ほどあとに作られたそうで、鍵盤数・段数、レジスターも多くなっている。ミサが始まった為、音は聴けなかった。この体験だけですでに感動している私たちを、彼らはメディチ家礼拝堂内部までこっそり入れてくれた。残念なことに、改装中のために内部に無いものが多かったものの、その大きさに圧倒。これが墓なのか…。旧・新聖具室も見学。見学で並んでいる人の横を通って外に出る(無料で見てしまったのですね)。

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S.ロレンツォ教会オルガンの鍵盤部

次にはバディア・フィオレンティーナ教会Badia Fiorentinaへ。ダンテが生まれたという家の近くにあり、ベネディクト派の修道院で、修道女が待っていて下さった。内部に入り、再びメニケッティ氏のオルガン演奏を聴く。内部に入る前に、調整、調律がされていないのであまり良くない状態と聞いていたのだが、私はさらに感動。サン・ロレンツォ教会の天井は丸みを帯び、壁と同じ素材で出来ていたのに対し、ここは木で作られ(多分)平面である。そのせいもあるのか、幾分残響が少ない。そのかわり、一音一音多少クリアに聴こえる気がする。オルガン席に行くことはここでは許可が下りなかった。

続いてサンタ・マリア・マッダレーナ・デ・パッチ修道院S. Maria Maddalena dei Pazziに行く。ここにはG.クルデッリG. Crudeli(1719)のオルガンがある。こちらは、演奏者がまったく見えないほど、高く演奏者席が壁で囲まれていて、ミサの進行も見えずにどうするのだろう…といらぬ心配をしていたら、オルガン席に行って納得、祭壇前辺りが見えるようにほんの少し、壁に穴が開けられていた。3軒目の訪問となって、ようやく落ち着いて聴けるようになる。教会を守る老いた男性(後で神父様と分かる!)が最初は怒っているように見えたのだが、全員がオルガン席を見学後、親切なことに、この教会の宝である壁画に案内してくださった。これは、アルノ川が増水したときの水のラインが絵画のすぐ下にくっきりと残っていて、間一髪で助かったというペルジーノPeruginoの絵「十字架に架かったキリストCrocifissine del Perugino」である。その上、この絵の絵葉書まで頂いてしまった。

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S.Maria.Maddalena dei Pazzi内部 左側面にオルガンが配置

ここで昼食休憩。三々五々散らばる。私はジャンノーニ氏推薦のお店へ。メンバーの那須田、大段両氏とフィレンツェではTボーン・ステーキを食べなきゃねと注文、焼き具合がすばらしくペロっと平らげた。

午後、ベッキオ橋中央で集合。アルノ川の向こう側にある、サンタ・フェリチタ教会S.Felicitaを訪れる。ゼッフィリーニZeffirini(1572以前)のオルガンで、ここではすぐにオルガンの所に案内していただき、さらに嬉しい事にはオルガンを参加者全員がご好意により触ることが出来た。このオルガンは祭壇側に鍵盤は無く、裏側についている。試奏して、チェンバロのようにアルペジオを使ってはおかしい事に今更ながら気づく。また、持続音の気持ち良さは想像したとおり、タッチの軽さはチェンバロと近いぞ…と感じ、昨年のメニケッティ氏の「イタリアのルネサンス・オルガンはチェンバロよりタッチが軽い」という言葉がよみがえる。それぞれに鍵盤から音から何かを感じ取っている様子。来て良かったと実感。
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フェリチタ教会ゼッフィリーニ作オルガンの鍵盤部とプルダウン

この日の最終目的教会、サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会Ss.Annunziataへと移動。ルネサンス様式のアーチの柱廊が有名なこの教会を含む一体は、調和に満ちた美しいところだと聞いていたのだが、ごみが多く、またホームレスもいて少々落ち着かない雰囲気だった。ここにあるのは1509年ロレンツォD.di.Lorenzo作のオルガン。こちらは音を聴くのみ(それだけでもすごいのに、だんだん欲が出てきてしまう)。1名のみオルガン鍵盤部まで上がることを許可され、私が上らせていただく。実際に見ると、本当に鍵盤数、レジスターは少なく、ペダルもプルダウン方式。やはり、響きのある場所では、なんと豊かに響くことか。メニケッティ夫妻と次の日の打ち合わせをして、解散した。

<ピストイア>
10日はピストイア市へ向う。ピストイアのカテドラルCattedrale di San Zenoで朝ミサに参加。そこで司祭を務めていたのが、U.ピネスキ氏Umberto Pineschiであった。氏はオルガニストであり日本でのピストイア賞を授与する馴染みのある人物である。鍋島先生のこともご存知だった方。このピストイアでは、氏の案内で4台のオルガンを巡った。

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ピネスキ氏 ピストイアのカテドラル トロンチのオルガン=撮影・見坊 澄

最初にカテドラルにあるオルガンでトロンチTronci作(1793)の一段鍵盤。そして、重要なスピリト・サント教会Spirito
Santoのオランダ人ヘルマンスHermansが1664年に作ったオルガン。ベネデッティーネ修道女教会Benedettineにあるポジティヴ・オルガンでジェンティーリGentili作(1762)。そして、今回ドイツから参加した辻めぐみさんのお父様である辻宏氏が修復したS.フィリポ教会Ss.FilippoのトロンチTronci(1745)のオルガンである。フィレンツェとは比べられないほど小さい町であるこのピストイアにこれだけのオルガンがそろっている事に驚く。あいにくこの日は町のお祭りだったようで、大聖堂前の広場ではロックコンサートが行われ、多くの出店も出て、人の波にのまれ雑踏の中を掻き分け駅に向わねばならなく、初詣の帰りのようだった。
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ピストイア ベネデッティーネ修道女教会ジェンティーリのオルガンとメニケッティ氏

この日、実は宿で事件が起きていた。従業員が部屋の金庫を、朝皆が出発した後、物色していたのを、たまたま、忘れ物もあって部屋に戻ったメンバーの一人が見つけたのだ。その従業員をレセプションに連れて行き、責任者も呼んで事情を話した後、彼女はピストイアに駆けつけた。帰宅後、彼女のおかげで貴重品は無事、それ以降はフロントの貸し金庫に預けたのだが、部屋の金庫は危ない。

<ボローニャ>
11日はボローニャに行く。イタリアは朝がゆっくりなどと勝手に考えていたのとは大違いで、毎日8時台には行動を開始する。この日は8:28発の電車でボローニャへ移動。昨日のピストイアとは打って変わって大都市。

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ボローニャ、マルティーノ教会 チプり作のオルガン

最初にサン・マルティーノ教会S.Martinoへ行く。教会のファサードは修復工事中のため、まったく見えなかったのが残念。しかし、内部は大変美しく、荘厳さが漂っている。大変印象的な緑色のオルガン。G.チプリCipriが最初に作り(1556)、その後数回に渡り、手を加えられている。ここでは、祭壇をつっきってオルガン演奏場まで上がり、そこでかなりの時間を試奏させていただいた。弾くことにもメンバーはかなり慣れてきて様々な曲を試す。私はこのオルガンの柔らかくて、腰のある響きがかなり気に入った。フィレンツェやピストイアで見たものより大きなオルガンであるが、タッチは重くない。自分たちよりかなり上に位置するこのオルガンは、その大きさ、上から降ってくる重厚な響きをもって信仰心を高める事、さらにいえば信仰心をあおる事に大きな効力を発揮したのだ…と今更ながら妙に納得した。
この教会を後にし、昼食を取る。ボローニャに来たからにはボロネーズを食べなければ、とメニケッティ氏に教えられたお店へ。すばらしくおいしかった。

その後、今回の最後の目的の場所、サン・ペトロニオ教会S.Petronioへ向う。ここには祭壇を挟んで2つのオルガンがある。祭壇に向って右にロレンツォ・ダ・プラートLorenzo da Prato(1471-74)そしてファッケッティFacchetti(1531)によって作られたオルガン。左にはマラミーニMalamini(1596)作のもの。この大きなオルガン2台がそれ程大きく見えないほど、この聖堂も大変立派である。
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ボローニャ、ペトロニオ教会L.D.プラートのオルガン(24フィート管を持つオルガン)

私は、てっきりここが大聖堂なのだと思っていたが、地図でさらにドゥオモがあるのを確認。それにしても大きなパイプである。これは私が多分初めて見る(聴く)一番低い音をだす管であろう。24フィート管である。ここでは、日本でもオルガニスト、通奏低音奏者として有名なタミンガ氏Lieuwe Tamminga(サン・ペトロニオ教会オルガニスト。編集註:日本ではタミンハで表記されるが、ここではイタリア語読みにしている)が演奏を聴かせてくれた。即興演奏で、24フィート管のロングトーンから始まる。どこかから低い音が伝わってくると思うとそれが24フィート管、そこにオクターブ上の音、さらにオクターブを重ねる…次第に、厚みが増すかと思えば、軽やかな音色になり、息つく暇もなく音が変化する。時に前衛的な音楽も聴こえ、思わず笑ってしまうほど。

その演奏の後、幸運なことにこの2台のオルガンを私たちに1時間開放して下さる事になった。なんという幸せでしょうか。メンバーはあちらの楽器こちらの楽器と移動しながら、試奏したり、聴いたりとあっという間の1時間を過ごした。
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左からみつるさん、タミンガ氏、メニケッティ氏

帰りの電車に飛び乗り、フィレンツェへ向う。そして、参加者全員でこの旅の「最後の晩餐」をトスカーナ料理店で取る。ほ
ろ酔い気分で大変お世話になったメニケッティ夫妻を駅に見送り、参加者とワインを部屋で飲み、ツアー最後の夜を過ごす。

<後泊>
翌日は、早めに旅立つメンバーを見送り、フィレンツェの別のホテルに移動。ゆっくりこの町を探索。最終日にはミラノへ移動。楽器作りのビッチBizzi氏と落ち合い、スフォルツァ城内の楽器博物館とドゥオモ(正面は修復中でまったく見えなかった)、アーケードを見学後、彼の工房を訪ねる。マルペンサ空港に程近い郊外にある工房は、自然に囲まれたすばらしい景色の中にあった。イタリアンからジャーマンまでほとんどのタイプを手がける彼の楽器は大変リーズナブルで、耐久性があるように感じる。音色も楽器固有の特徴を出していた。この夏ごろより、日本でも手に入るようになった。見学後、空港まで送っていただき、帰途に着く。

<最後に>
この旅の中でイタリアにおけるオルガン事情、オルガン奏者事情をメニケッティ氏やみつるさんから聞いたのだが、多くのオルガンが折角この時代まで残っているのにも関わらず、それを修復する予算がない教会や、オルガニストを志す者も少なくなっているのが現状だそうだ。結局は支払っていくお金が無いらしい。

今回のように、オルガンに興味を持ち、訪ねていくことは、教会自体にも刺激になるし、ひいてはその維持を意識させることにもなる、という面からも、意義のある事なのだそうだ。この事には少し驚いた。キリスト教の歴史ある国イタリアでは、実際にキリスト教が深く根付き、これからもオルガンの使用は必ずされていくのが当たり前だと、どこかで思い込んでいたからである。今回のように日本から興味を持って訪ねていくことが、自分の興味の満足ばかりでなく、多少なりとも、その保護に影響を与えるならば、微力ではあるが、魅力を伝え、新たな訪問者を作り、さらに自分でもまた訪ねて行きたいと思う。

この見学ツアー は、「レコード芸術」(2005年11月号)に
「イタリア・オルガン紀行」と題し、関連CDとともに紹介されました(On Line 音楽之友)。

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